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世界的にディレーラー史文献として有名な「The Dancing Chain」(初版2000年)には、サンツアーとシマノしか載っていない。それに憤りを感じて数年前、港サイクリングクラブのメンバーでライターでもある六城雅敦氏と日本の変速機史を掘り返しました。サイクルスポーツ誌で「変速機を愛した男たち」という連載記事になった。

変速機史を流れで扱ったが、六城氏とcoppiがいちばん伝えたかったのは敗戦後の焼け跡で作られた日本の変速機。その先鋒は三光舎のヘリコイド式変速機で敗戦翌年、昭和21年(1946)に生産された。写真は丸石自転車向けOEM版でアームにカンガルー印が刻印されている。

英国CYCLOを参考に元航空機技師の鶴田成正氏による2本ケーブル式変速機。スポーツ車用と実用車取り付けようがあった。

昭和20年代はゴムがなくて自転車部品はタイヤ・チューブが枯渇していた時代の取り組みである。

港サイクリングクラブの植原郭氏によれば、「ダブルワイヤーで操作は軽いが、どうにか変速する程度の性能でよく故障した」という。だが、三光舎は昭和26年(1951)にサンプレックスを参考にスライドシャフト式を作り、昭和38年(1963)にはパンタグラフ式をと精力的に新製品を発表した。昭和43年に三光舎は倒産したが、会社は久野善司氏に引き継がれて昭和41年(1966)に世界初の軽合金製ディレーラーであるプロキオン(下写真)が発売された。

Special Thanks●六城雅敦、植原 郭

Post Author: coppi