139年前に英国系アメリカ人のトーマス・スティーブンスが成し遂げた世界自転車旅の偉業を再現しようと、ザ・ホイールマン(The Wheelmen.org)に属するアメリカ人が9月24日に九州の長崎を出発し、1,550kmを走り10月25日に横浜に到着。翌日、サポートを受けた東京の自転車文化センターを表敬訪問。
自転車文化センターのみなさんと記念撮影。右がナイトさん、左がサポート役のケネディさん
トーマス・スティーブンスの絵(Project DharmaチラシPDFより引用)
トーマス・スティーブンスは1884年4月から1886年12月までの2年8カ月でサンフランシスコから東回りで世界を旅したサイクリスト。彼が最後に訪れた国が日本。その旅路は書籍「Around the World on a Bicycle」に記され、インターネットアーカイブで閲覧できる。
https://archive.org/details/aroundworldonbic02stevrich
この“プロジェクトダルマ”は、祖父から三代続けてホイールマンに所属して愛用の前輪直径54インチのペニー・ファージング(ダルマ自転車)で走ったエリック・ナイトさんが企画を立案し、日本在住30年のマーク・ケネディさんが電動アシスト車でサポートした。エリックさんとケネディさんはともに55歳、アメリカの大学時代は寮のルームメイトという仲良しだ。
彼らの走ったルートは1886年のルートをスティーブンスと同じタイプの自転車(安全のために必要な灯火類やリヤブレーキなどは装備)で、長崎から横浜の大桟橋まで九州北部を縦断し、瀬戸内海の北岸に沿って、東海道ルートを移動し、オリジナルの1,500km超のルートを最大限に忠実に再現した。
イラストレターのrinneさんが描いたイラストがプレゼントされた。富士山&ダルマ自転車の絵柄はスティーブンスの旅をオマージュ
自転車文化センターで聞いた旅の感想を紹介。
ブレーキは右レバーがフロントのスプーン式、左レバーでリヤのキャリパー式を制動する。ダイレクトドライブだからペダルでも制動効果あり
ナイトさんコメント。
-まず感謝したいのは、各地でとても親切で温かな歓迎を受けました。飲み物を手渡してくれたり、ウチに寄っていけと言われた。熱心な日本のサイクリストと一緒に走って交流できたことも素晴らしかった。突然のトラブルを自転車屋さんで修理してもらえたのは、事前に情報を得ていたからです。
特に自転車文化センターの森下昌市郎さんは、スティーブンスの走ったルートと現在の日本の交通事情を検討したマップや、走るときに気をつける法規、コース途中での点検・修理を受けられそうな拠点紹介などたくさんの情報を提供してくださいました。-
ダルマ自転車のシートレールの片方が静岡県内で破断したが無事に修理できた
-日本の道路は自転車が走る部分が狭いけれど、危ないことはありませんでした。平均的なスピードは20km/hほど。だるま自転車は踏み切り式なので坂道、特に下り坂は苦手です。箱根の湯本から小田原は長い13%の下りだったのでハンドルをしっかり握ってペダルを逆踏みしてスピード抑制したから脚の筋肉がパンパンになりました。-
ダルマ自転車に乗るにはハンドルを持って後輪の近くにあるペグ(peg)に片足を乗せて、ケンケン(scoots)して惰性をつけてからサドルに尻を乗せる
ダルマ自転車の重心は高く、前輪のすぐ後ろに着座するため、突然停止したり、ちょっとした障害物にぶつかると、ライダーはハンドルバー上を越えて前方に飛ばされる可能性がある
-日本の人たちにだるま自転車で走って楽しむ文化があることをアピールすることは、このプロジェクトの目的でした。クラシック自転車は博物館にあるだけではなく、日常の中で生きた歴史(living history)として使用していくことも重要です。アメリカのホイールマンクラブには900人ほどの愛好者がいます。だるま自転車はマニア間で売買したり、懇意のメカニックが助けてくれるのでその文化を紡いでいけるのです。-
自転車文化センター訪問の最後にナイトさんは、だるま自転車のライディングをご披露。緊急時の飛び降り方、紳士的に降りる乗り方のデモンストレーションを流麗に演じてくれた。
緊急時の飛び降り方
こちらは紳士的な降り方
ナイトさんのコメント、「クラシック自転車は日常の中で生きた歴史として使用していくことも重要」は、自転車趣味の普及にとって示唆に富んだ金言だ。